2022/12/11

行ったり来たり、踏み越えたり踏み越えなかったりというのは人間ならよくあることなのかもしれない。

 

先日、坂上香監督の「プリズン・サークル」を観た。

島根あさひ社会復帰促進センターという名前の刑務所で行われている教育プログラムを受ける四人の受刑者たちを追ったドキュメンタリーだ。

 

四人は熱心に真剣にプログラムに取り組む。

再犯をしたくない、成長したい、いろんな思いがあったかもしれない。

でも、私が一番に感じたのは、先の見えない場所へとがむしゃらに進む力である。

言葉で整理が可能な目標を未来に設定しているのではなく、先へ先へと生きる力がまず最初にあった。

 

教育を受けたら再犯をしないのか。

たぶん、そうではない。

再犯をする可能性が彼らの横に立っている。

踏み越える、踏み越えないは、ほんのわずかな差でしかない。

風が吹いたとか、石に躓いたとか、軽く一歩を踏み出すか踏み出さないかの違い。

 

自分だってそうだ。

たとえば、勉学に気合が入る日もあれば、怠惰にサボりまくる日もある。

ビルの手すりの下を見て、ああもう消えてしまいたいなと思いながら、そんな怖いことはできないし、人に迷惑をかけるだろうと普通に考えている。

一線を超えるか超えないかは、葛藤はあれども踏み出す行動自体はすこぶる簡単だ。

再犯とはちょっとレベルが違うかもしれないけれど、私の感じることも同じかもしれないと思った。

 

ところで、岩明均「七夕の国」3巻での内田樹の解説を私はずっと覚えている。

正確ではないけれど。

あちら側に行きそうになる人を境界線のところで、こちら側に押しとどめる。

あちら側から来るものを境界線のところで、あちら側に押しとどめる。

そういう境界線上で世界を守る人のことをセンチネル(歩哨)という。

内田樹は「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンの言葉、「キャッチャー」はセンチネルだと言っていた。

 

何が言いたいかというと、人間はみんな行ったり来たり、不安定だ。

あちら側に行ってしまいそうになる時もあれば、こちら側に自分で踏みとどまれる時もある。

だから、隣にいる人間が、同じ社会、同じ世界を共有する人間が、お互いにお互いのセンチネルになれればいいなと思う。

なんとか毎日をやっていける、ふらつきながらも先に進んでいけるように。

きれいごとだけど、まずは(?)自分がそういうのを実践出来たらなと思う。

 

他にも本の感想を書きたかったけど今日はこの辺で。

以上!