2023/05/08
弱い方の立場にたって味方をした場合、後から間違っていたと後悔することはあるのだろうか。
読んだ漫画と本のメモ(2023/04/23)
久しぶりに書くなー。
個人的な話ばかりしているけど、せめて読んだ誰かに内容が伝わるように書こうと思う。
今まであまりにも気ままに書きすぎたなあと思ったから、これからは……。
「推しの子」をジャンプラで一気読みしました。
こういうサスペンス・推理モノって一気に読まないと内容を忘れてしまってついていけなくなるから助かった。
とても面白いよ~。
人物のぶつかり合いでしっかり変化が起こるのがすごい。脚本術の教科書のようだ。
瞳の煌めきの表現が伏線にもなってそうだし絵的にも映えて最高。
推理モノは好きなのでこれからも楽しみです。
ルビーとアクアマリンの二人は転生者だから、他にも転生した人がいるのかなあとか考えてる。アイと愛とIってなんか示唆的だなあって思う。
母親という存在をどういう風に描くかで単行本買うか決めようかなって思っている。
「母」と「愛」をどういう関係性で描くのか。
「母」には子供を愛を持って守るべきとか「母性」だとか、そういう役割が押し付けられてきたと思っているので、そういう結論を出されたらイマイチだなって思う。
夕木春央「方舟」を読みました。
いや~~。ミステリーなのでネタバレしない方がいいよなあと思う。
犯人気になって一気に読んじゃった。
思い出したのは、SKY-HIとぼくのりりっくのぼうよみの「何様」の歌詞だった。
「かく言う僕も変わりゃしない人を裁くなら神に任せたらいい」って歌詞。
選択っていうのは残酷だけど避けては通れないものだよな。
多くの場合、気づかないうちに誰かの生死を決めている選択もあるのではないか。
そういう生き延びることの要素を突き付けたなあと感じた。
あとなんか映画化向きな本だなあと思った。
怖くてハラハラして小説世界に連れ去られた。
こんな感じで。
今日は以上です。
2023/04/14
疲れた。
疲労。
絵かきたい。
あとすごく描きたい漫画がある。
ちょいちょいアイディアをまとめている。
今いそがしくて趣味の漫画を描けるほどの時間の余裕はない。
だからこそ、描きて~~って思えている気がする。
多分、時間できたら描かない気がする。それがダメなんじゃん……。ああ。
ダメなんじゃんって思わない方がいいし、他人にとってはどうでもいいし、結局変わらない自分になんか沈む。
趣味とはいえ自分も漫画を描くから、プロの作品をみると「これこう生かせる」「こういう描き方いいな」とか、テクニックばかりに目がいってしまう。
最近そればっかりでよくなかったなって思ってる。
もっと自分がこれ伝えたいとかこれ描きたいとか、そういう熱意みたいのはあったのに、超すごいプロのテクニックに触れるたび、見るべき対象が多すぎてたった一つに絞る(べき?)物語のテーマみたいな、そういうのを失っている。
なんか……熱意みたいなので描きたいなって今は思っている。
思っているだけでは完成しない。
それに尽きるし何言っても仕方ないな。はぁ……。
おしまいじゃ~
2023/04/07
体調悪い。
のどがじんわり痛い。三日間くらい続いている。
舌も痛い気がする。
左耳も痒いような違和感がある。
日中に眠い。無限に眠い。
とぎれとぎれに眠りに落ちてしまう。
エナドリを常備するかと思ったけどジュースの成分を毎日摂取するのもよくないなと思う。だから、ダイレクトにエスタミンモカを買ってみた。
まだ使っていないけど効果があるといいな。
進捗が最悪。自分の進歩の無さにあきれる。勝ち目あるか? 捨てゲーしそうになる。良くない。シンプルにつらい。
時間が取れない。いや、もっとキリキリやれば時間は増えると思う。それがつらい。
甘えていると思われるかもしれないがつらい。
一日10時間勉強していた人の話をユーチューブで見て精神が終わりになっている。
掃除とかもろもろの生活はどうしていたのか。終わってから学生でいられるありがたさに気が付く。
生活すら中途半端で落ち込む。
脳みそが空っぽな感じがする。昨日やったことも今日再現できない。より空転する。
……とか書いてみたけれど、そういう自分を客観的に見てる自分がいる。
余裕はある。あるはずなのに。
てか余裕がなくなったらメンタルがヤバイなとも思う。
うだうだうだうだ。
今日は終わりです。
2023/03/17
どうする家康マジで面白くないっす。
なんか……作者の観点が気持ち悪いなって思う。
具体的に言うと、血で文字書いたり、刀を首に当てて手前に引いて自害するシーンを撮ったり、『血』を視聴者の目線を引きつけるために使っているところ。
あと、瀬名が氏真に襲われているところとか、瀬名の一家が本当に命の危機に瀕しているところをリアルっぽく、隠さずに具体的なシーンで見せているところ。
正直「うわあ」って顔しかめた。
拒否反応というか、血は自分の体で痛みを想像しちゃうし、画面の中の人間が命を落とすか落とさないかの瀬戸際にいるのを見てるのってデスゲームの主催者的な悪趣味さを自分の内部に感じてしまう。
画面に引き付ける道具が野次馬根性的な部分なんですよね。そういう動機で大河ドラマ見たいんじゃないんだよな……となる。
どうする家康のページをめくる動機って、人食い殺人鬼がいるヤバイ設定のLINE漫画と同じ気がする。(そういうLINE漫画はLINE漫画で面白いんだけど、大河ドラマでそれやられるのは……。)
自分は、自害とか襲われているとか、そういう具体的なシーン見たくない派だと思う。
いや違うな。作品による。キャロルのベッドシーンめちゃめちゃ雰囲気よすぎて「スゲーッ!」って言ったと思う。
堂々と言うのもなんだけど、ベッドシーンとか嫌いじゃないし、作品によってはすごく好きだと思う。
どうする家康のそういうたぐいのシーンは嫌いってだけですね。
なぜ嫌いか、もう少し深堀りして考えないといけない。
関連して別の話。嫌いな作品の話をネットでしてもいいのか問題。
ツイートでこんなものを見かける。
「この作品を好きな人もいるんだからわざわざ悪口を言わなくてよい。」「水を差す。」「役者がかわいそう。」などなど。
インターネット上なら何を言ってもよい、わけがない。
様々な人が利用する空間である以上、言っていい事と悪い事はあるだろう。
この線引きに関しては現実の人間関係や社会と同じように考えられるのではないかと思う。
特定の人を罵ったり傷つけたりする言葉はその人が傷つくから言わない。
特定作品が嫌いだ、という話題はどうだろう。
その作品の話になったときに、私なら「あれ面白くないよなー」と言うと思う。もちろん話し相手との関係にもよるけど、友人なら言うと思う。
私の言葉に対して「えっ? 面白いよ」と返してくれても構わないし「たしかに面白くないよね」って同じ意見を持っていても構わない。
意見が一致していた方が互いの意見に共感できるから、作品に対して感じていたモヤモヤを発散できるメリットはある。
逆に、相手は面白いと感じているなら「マジかよ」とか言うかもけど、それ以上追及しないと思う。何が面白いポイントか聞くくらいのことはあるかもしれないけど……。
ネット上で特定の作品が嫌いだと言っていいのか。現実の線引きに即して考えれば、私の考えとしては言ってもよいということになりそうだ。
しかし、ネット、特にSNSだということを考慮に入れると、言葉には配慮しなければならないと感じる。
ツイッターは断定するような言葉が拡散される傾向にある気がする。
いいねやリツイートの数がいちおう共感の数だと考えると、その作品を嫌いだという意見にいいねやリツイートが沢山されていれば、作品を好きな人に巨大な圧力をかけてしまうことはあると思う。(巨大に見えるだけで実際は何の根拠もない数字だと思うが……。そもそも、特定の人に対して言った言葉ではない。)
それに、返信はできても対等な関係で意見交換ができるわけでもない。
やっぱり友達との関係を基準に考えるのはおかしいかな……。
……ちょっと、じっくり考えないとまとまらないな。
ただ、現時点で注意したいことは、強い言葉や激しい言葉を使って嫌いを表現しないということ、主語を大きくせずに「私個人」の意見であることを表明しておくこと、などかなと思う。
その理由は、現実で放送禁止用語レベルの悪態をつくのって、他の人が聞いていないような飲み屋の中だったりするから当然ネットという公の場ではそういう言葉を言ってはいけないだろうということ。それと、悪口はそもそも個人的な話であって、SNSは拡散される以上個人的な話をするには向いていない性質もあり、注意が必要かなということ。この二点ですね。
まとまらないなー。
この辺はじっくり考えたい。
あと、血、ベッドシーンなど、野次馬根性を刺激されるロジックも知りたいですね。なにかいい本ないかな。
早起きだから眠い。
お疲れ様でした。
トランス差別に反対します(2023/03/09)
トランス差別に反対します。
公衆浴場とかトイレの話をタイムラインでもちょくちょく見る。
自分もそうだけど(むしろ自分に強く言い聞かせる必要がある)、ネットのそれっぽい議論に乗っからないで、ちゃんと(せめて?)本を読んで勉強するべきだと思う。
私個人の感覚の話をすると、自分自身の意見が正しいか正しくないか分からないから気軽に言葉をツイート(すなわちネットに投稿)したくない。
最近になってそういう考えに落ち着いてきた。
数年前までは何も気にしていなかったし、自分自身がマイノリティにまつわる知識について無知だったゆえに、ひどいことを現実でもネットでもたくさん言ってきたんだと思う。
だから、トランス差別のツイートや考えを見ても、「なんでこんなことを言うんだ」という非難の気持ちと社会の雰囲気が悪い方へ転がっていく感じがして嫌だと言う気持ちがある、その一方で、この発言をしていたのはもしかしたら自分自身だったのかもしれないという気持ちがある。
発言者を非難する気持ちと、ただ非難するのは私のすることではないという気持ち。
差別の言説は、社会のシステムを形作るといった政治的な面から見て非難されるべきだと思う。差別を容認する社会では、自分の人生を真の意味での自己責任で生きられる社会とは言えないし、多様性のない社会だと変化する世界での発展なんてないんじゃないか(ざっくりしすぎ)と思うからだ。
しかし、その上で、議論と言う形に乗っかって(乗っからざるをえなくて)、対立するというのは避けた方がいいと思う。
一方が一方を排するために戦うという構図はまさしく差別を容認する社会そのものだし、多様性を認める社会の構図とは異なるのではないか。
それよりも、政治的に間違っているとされる言説の人を見捨てないというか、見過ごさないというか、そういう構図こそ自分がとるべき態度のような気がする。
そのためにどういう努力をしたらいいのかというと、自分自身が本(ネットではなく)で勉強して自分だけの視座を獲得することだと思う。そして、「その意見は間違っている」とゆっくりはっきり説明できるようになれればいいと思う。
この意見は、トランスではない人間としての立場からのものだから私自身にしかあてはまらない意見だし、軽々しいツイートを見ると怒りに似た感情が湧いてくることもある。
それでも見捨てない。(言葉がこれで合っているのか分からない。上から目線すぎるかも?)
言葉選びが難しいけれど、今対立している人は自分自身だったかもしれない人だということを自分は忘れてはならない気がする。
今日は以上です。