2023/02/16
反トランス差別ZINE「われらはすでに共にある」を風呂の中で読んでいる。
トランスジェンダーの人は人口の1%と言われているらしい。
かなり少ないなと感じた。
マイノリティだ。
読みながら色々と考えている。
色々と糸口をつかみかけている気がする。思ったままに書いておく。
そもそもマイノリティって何だろう。
私は、作られた社会構造が先にあって、その仕組みから見た一定の属性の人々をマイノリティと呼んでいるのではないかと思った。
漠然としているけど、私にはそもそも直感があって、すべての人間は個人的で、分かり合えなくて、全員が全員「その人」というマイノリティだなと思っている。
現状グループでくくっているのは、今の社会構造に対峙して、時に戦うときに、同じ共通項でまとまって数の力を使うのが一定の有用さを持っているからではないか……と思ったりもする。いやこれは違うかも……。有用だからグループになるのを選んだのではなく、グループにならないと有効な一手にならない社会構造だからと言う方が正しいかもしれない。
そして、女性とか男性とか、性別って何だろう。
私は性別二元論の社会で生きてきたから何となく順応して、そういうものなんだなと思ってきた。でも本当はずっと違和感があって、私は私なのにとか、小中学生で謎に男女別れて会話とかしてたりとか、そういう世界を見て「へーそういうものなのね」とか新鮮に驚くなどしていた。
いまこのZINEを読んでいて、性別の捉え方を今一度考え直す必要があると思っている。
男性と女性って判断するとき、体から入ることにまず疑問を覚える。
そもそも体を重視するのは何故なのか。
多分、子どもを産み、家父長制をやることが国家のために方針として勧められた時代があったからだと思う。
子どもを産むというか、生殖行動は二人一組でやるものであり、二人のうち一人には男性器があって、もう一方に女性器があることが必要だ。
子孫を増やす、みたいな考えに立った時、そういう条件を備えた二人一組が偶然女性と男性の組が多かった、ということだろうか。
生殖が二人一組だから、女性と男性の二つで考えることに都合のよさがあったのだろうか。
しかし、このままの発想だと性器の種類から性別を判断することになる。
改めて考えると馬鹿げていると感じる。
いやいや……判断基準がソレなわけないだろう。もっとその人が内側に抱えている自己があるでしょう……と思う。
仮に自分が「オマエは〇〇な外見をしているから××な性格だろ」と言われたら何言ってんだコイツと思う。
自分自身の内容が外見から決定づけることが可能って、ありえない論理だよな……。
世の中にはこの二種類以外の性器を備えている(備えていない)人もいると思うし、そもそもこの部位が二種類しかないって考えること自体乱暴だとも思う。(ラジオで、生まれつき膣がない女性の話をチラっと聞いたりした。)
……性別ってなんだろうな。
ちょっと自分には希薄な感覚なので正直あんまりよく分からない。(だから学校でどんなグループにも上手く馴染めなかったのかもしれない。友達はいたけど何か纏う空気が違うなって思うときがあった。知らんけど。いつも変人とか馬鹿とか言われていたので……。)
とりあえず、体の特徴から人の中身を判断するっていう行為をしないように気を付けたい。
他にも色々思ったことはあるけど今日はこの辺で。
以下はぜんぜん違う話。
明日の叙景というバンドの「キメラ」という曲がマジでよくてじわじわしみ込んでいる感じがする。インタビューも読んで、かなり好きかも知れない……となっている。
NHKで放送された「映画大好きポンポさん」を見た。
自分にはあんまり刺さらなかったし、目に光がない方が創作的に良いとか悪いとか、あんまり理解できない感覚だった。陽キャ(と呼ばれる人たち)にも悩みとかあると思うけど。(あの銀行マンの友達でそこのところ拾ったと言えば拾ったけど……うーん。納得はいってない。)
また機会があれば書くかも。
それじゃお疲れ様でした。